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言わなくてもいいことを言いたい

強くなると人に寄り添えなくなる

 

 

『強くなければ次のステージに行けないけど、

強くなると人に寄り添えなくなる』

オードリー  若林正恭

 

 

これなんだよ!これ!!!!

Netflixの佐久間さん企画の番組「LIGHT HOUSE」をイッキ見しまして。とんでもない番組だ。星野源×オードリー若林。とんでもない2人組。平たく言うと2人ともマジで暗い人間、いい意味で。その暗さがこの2人をここまで持ち上げたんだと思った。やっぱり登り詰める人生き残る人は、考えて、考えて、考え抜いてる。悩み抜いてまだ悩んでる。何かを悩んでないといられない、だからこそ今ここに立てている、ここに立てていてもまだなんか悩んでる。そういう登り詰め方をしたい。悩みに終わりのない人でいたい。それが成長に欠かせないはずだから。

 

 

前回書いた時からまだずっと考え続けていて。自分にとって最強のコミュニケーターと出会った結果、他者とのコミュケーションに様々なメリットと弊害が出始めてていることについて。自分がコミュ障な癖に、私も人とコミュニケーションが取れる!という実感を一度味わった途端に、急に他のコミュ障にマウント取り出す感じ。ダサい。これどうにかしたいって思ってた時に、若林のこの言葉。まさにそう。

 

 

自分はある意味努力して、人と有意義に会話出来るようになりたいと思って頑張って今ここにたどり着いた、そうしないと次のステージにいけないから。だけど次のステージに行ったら、以前自分が居たステージに今立ってる人たちのことがちっちゃく見えてしまった。もっとちゃんと自分の気持ちを言葉にしろよ、もっと頑張れよって内心思ってしまう。若林が言いたいことと合致してるかどうかわからないけど、私的にはそう解釈して、深く頷いてた。

 

 

もっと言うと、私だって頑張って強くなったというのに、もうもともと生まれつき強かった人みたいに思われるのもすごく嫌だ。最初っからできる人はいいよね、この気持ち分からないでしょ。って思われるのがすごく嫌だ。私もそこに居たんだから、そこからやって来て今ここにいるんだから!!と弁明したい。だからと言って自分が頑張ったことを熱弁したり、お前らも頑張れと説教したりするのも嫌だ。イヤイヤ期だこら。

 

 

そこで何を思われようと何を言われようと冷静になって、相手に心底共感し、思いやり、自分を守ろうとせずにただ相手に辛抱強く優しく接することが出来たら、それが大人なんだろうな。そうしているうちに、あ、この人ももともとはこっち側の人間なのか、っていつかちゃんとわかって貰える日がくるんだろうな。来ると信じたい。

 

 

 

友達ができた

 

 


今までの人生、私には友達という存在がなかった。そう言うと少し寂しく聞こえるが、表現を変えると“本当の友達”がいなかった。どんな事でも投げかければ相手がそれをキャッチして、頷いて共感してくれたり、もしくはあーだこーだ意見を言ってくれる、それに基づいて自分も安心したり考えを変えてみたりする。そういう綺麗なキャッチボールのようなコミュニケーションをほとんどとってこなかった。元を辿れば家族とそういうやりとりをしてこなかったので、コミュニケーションなるものを知る術がなかった。

 

 

 

他者とのコミュニケーションがいかなるものかを知らなかったので、当然 人と関わるのは子供の頃から苦手だった。自分の思ったことを素直に言えない。聞くことは出来るが、聞いたことに対して疑問や反論があってももちろん言えない。怖くて言えない。自信がなくて言えない。言えない理由は様々あったが、とにかく、言いたいことが言えないというジレンマでモヤモヤする。他人と一緒いるとモヤモヤするばっかりだ、他人=ストレスだ!と脳が覚えていった。だから1人でいる方が好きだし、自分の世界に篭もるのが1番のリラックス方法になった。ただ、だからといって特にこれといったアイデンティティやポリシーを強く持っていたわけではない私は、周りに合わせることだけは誰よりも上手くできた。だから学生時代、教室で孤立したことは無い。でも1歩学校の外へ出れば、 1人で過ごすことを何より優先した。

 

 

 

親友は欲しいけど、作る術がわからないし、なぜ自分に親友がいないのかも正直分からないし、まぁそんなことをあれこれ考えるくらいなら1人で映画でも観に行こうくらいの気持ちでしか無かった。諦めていた。今思えばそれもそのはず、対他人とのコミュニケーションのとり方を知らなかったからだ、知ろうとしなかったからだ、と大人になってから理解した。

 

 

 

そういうわけで、私の話し相手は常に私自身の中にいた。ボールの壁打ちだ。自分の心の声と対話をする。常に自問自答。自分でボケて自分でツッコむ。(これだけ聞くとやたら不気味だが、おそらく誰もが普段 から意識せずともそれなりにやっていることだろう。)その一部始終を残しておきたい私は、私以外誰も見ることが許されない極秘日記帳に書き納めていった。そのようにして私は常に喜怒哀楽を、目の前にいる他者には発信せず自己完結させた。これが私のコミュニケーション方法だった。私が本音を語るのは日記の中でだけで、それ以外の媒体を通して語られることはほとんどが戯言に過ぎなかったと言っても過言ではない。

 

 

 

 


20代の折り返しを過ぎた頃、突然 友達と呼べる存在が現れた。これまで生きてきた中で最も“親友”の領域に近い友達だ。彼女とはそれまでも知り合いではあったが、とある出来事を機にすっかり打ち解けた。彼女とはまず感覚や考え方のおおまかなところが似ていた。そして彼女自身が自分のことを包み隠さず素直に話し、私のことも素直に聞き出し、それに対して思ったことを素直言う人だったのが大きいと思う。最初はその素直さにつられて言ってしまった、みたいなことの繰り返しだった。そのうち、この話ならしていいか、この人になら話していいか、というふうに感覚がシフトしていった。

 

 

 

私がこれまでの人生ずっと、ひたすら文字にして日記にぶつけてきた言葉を、今私は安易に自らの声に乗せ、ひとりの人間の耳に届けているのか、しかもその言葉が相手の脳内で処理され、そらによってひとりの人間が笑ったり怒ったり。はたまた今度はその口から返ってくる言葉がこの私を鼓舞したり、狼狽えさせたりしているのかと思った時、驚愕した。これが会話か。これが友達か、と。ただの定型文のような言葉の羅列を投げかけ合う話し方とは違う。生きた、温度のある言葉が常に行き交う。私という人間を認知し、理解しようとしている生物が目の前に居る。このことへの実感を持てるようになるまで、少し時間が必要なくらいだった。実際のところ、初めに“この人とは話しやすいな”とただなんとなく思った時から、このはっきりとした実感に至るまでは2年くらいあったと思う。

 

 

 

そうやって、他者とのコミュニケーションのとり方を彼女から学んでいった。まるで猿みたいな言い方だけど、でも表現は決して間違っていない。私はこの2年間、人まね小猿だった。彼女から人間関係の築き方を学んだおかげで、彼女以外の人間との関わり方さえ変わってきた。自分の考えや感情を他者に投げてみることに少しだけ面白さを感じてきた。物凄い成長ぶりだ。今までひたすら自分の中で煮詰め、自分好みに味つけをして、自分だけで楽しんできた料理を、他の人にも食べてもらうような気持ちだ。自分の味を誰かにみてもらうのは少し緊張するけれど、食べた人は『あ、わたしこの味好き!』とか『へぇ、初めて食べる味だなぁ』とかと言ったりする。するとそのリアクションを見た時の自分の感情が面白い。喜び、高揚感、時には孤独を感じるし、カチンとくる時だってある。今度は自分が相手の料理を味見する。どうして今まで自分の料理しか食べてこなかったんだろうと思う。自分には出せない味、考え抜かれた究極の味。どうしたらこんな味が出せるの?何を使ったの?どのくらい煮つめたの?どんどん興味が湧いてくる。私も今度真似してみようと思ったりする。こういうことをしている時、“あぁ私、ちゃっかり人間をやってるなぁ”と思うのだ。

 

 

 

そんな“友達”ができてから少し経って、最近、感じ始めたことがある。昨日、私は日記にこう書き留めていた。『自分をさらけ出せる場所がどこにもなかった時の控えめさに戻りたい。さらけ出せる場所を知ってしまった。知って良かったし、手離すつもりはないけれど、でもあの頃の控えめさと慎重さも手離したくはない。』

 

 

 

自分にとって心地の良い人間関係を見つけてしまってから、私はどうやら羽を伸ばしすぎた。一度 広い家に住んでしまったら、もうそれより狭い家には住めなくなる、この感覚に似ている。快適なコミュニケーションを知ってからというもの、自分の家族や今まで周りにいた人たちがここまで会話しにくい人たちだったかと愕然とする時がある。どうして今まで普通に話が通じていたのか全く分からなくなることさえある。これが怖い。贅沢を言い始めたのだと思う。今までは自分だって、アウトプットが下手な、何を考えてるのかわからない人間だったのに。自分の味つけを他人に味わってもらう面白さなど知らなかったのに。教えてもらって初めて、人と関わるのはこんなに楽しいんだと知ることが出来たのに。知った途端に突然、一段上から人間を見るようになった気がするのだ。ーあぁ人と話すことの面白さを知らないんだなこの人は。あの人は何を考えてるかよく分からないけど、まぁもう大人なんだし、いちいち聞かれなくてもちゃんと自分の言葉で話さないとね。この人とはちょっと会話のペースが合わないな。本当にちゃんと深く考えてるのかな。ー

 


コミュニケーションのとり方で人を品定めしている自分の声が、時々どこかから聞こえてくる。

 

 

 

自分を重視しない控えめさ、相手に合わせる辛抱強さ、その場を気まずくさせないための慎重さ、誰も置いてけぼりにしない思いやり。“友達”を知る前の、誰かに何かを言うのも聞くのも怖かった一人ぼっちの私がずっと大切にしてきた空気を、今は時々、自らの手でぶち壊しに行っているような気がしてならない。自分をさらけ出しても確実に受け止めてくれる人がいる、というこの絶大な安心感の上にあぐらをかいて。

 

 

 

それを感じ始めてから、私は自分の日記を開く回数が増えた。一度立ち止まって、一人になって、自分を見つめ返さなければならないところにまたやって来たのだと思う。人と関わること、対話することの楽しさや面白さや大変さを知った。知らなかった時もあった。知らなかった時の気持ちが私にはわかる。自分らしくありたいし、誰のことも置いていきたくない。どんな人のことも重んじることができる人間になりたい。でも、コミュニケーションにおける自分の成長を誇らしくも思う。この楽しさを知って欲しい。

 


私はどこに向かえばいいのだろうか。考え続けたい。

 

 

 

部屋

今週のお題「わたしの部屋」

 

 

私の部屋は信じられないくらい散らかっている。

 

 

片付けられないのは小学生の時からで、当時から耳にタコができるほど「部屋を片付けなさい」、「出した物は元あった場所に仕舞いなさい」と母親に言われ続けてきたが、その母親自身全く片付けができない人なので、無論その指令が私の心に達することはなかった。私の部屋は家族からは豚小屋と揶揄され、自分でも改めて自室を入口から眺めるとその散らかりように笑いが込み上げてくる時さえある。散らかった部屋の様子を「泥棒が入ったような」と形容することがあるが、私の部屋は「泥棒が入って住人と鉢合わせしてしまい、取っ組み合いになっているところに突如 大地震が発生してしまったような」部屋というのがしっくりくる。

 

 

片付けられないと一口に言っても、色々なタイプがある。化粧品を出しっぱなしにする、服を脱ぎ捨ててしまわない、使用済みの食器を洗えない、ゴミを溜め込んでしまう、洗濯ができない、本を積み上げる、などなど。ではここでさらなる情報として、私自身がどのような類の「片付けられない人間」なのかということを知っていただくために、私が片付けられない物ランキング、トップ3を紹介したいと思う。

 

 

 

【第3位 宅配ダンボール】

ネット通販で購入し自宅に届いた荷物の梱包ダンボール。まず、今すぐ必要なものでない限り開けない。開封ダンボール。次いで、開けて中身を取り出すだけ取り出して潰されていないダンボール。口の開いたダンボーが点在する。そしてやっと潰しても今度はゴミ出しを忘れてひたすら溜まっていく。ペタンコになったダンボール。ダンボール、ダンボール、ダンボール.........。仮に今すぐ家を追い出されても、これだけのダンボールがあれば大丈夫。

 

 

 

【第2位 衣服 バッグ類】

衣服の洗濯は好きだ。干すのも好き。でも取り込んで畳むのが死ぬほど嫌い。カーテンレールに乾き済みの洗濯物が2、3日吊るされたままになり、そこから今日着る服を選ぶといった感じ。まぁこれはやってる人割りと多いと思うけど。1度出した服を畳んでタンスにしまうのが難しい。1度着ただけでは洗わない服もある、そういったやり場のない服たちが、日中はベッドの上に、就寝時は椅子の上に移動させられるというサイクルを永久不変にひたすら繰り返している。

バッグ置き場は基本的に部屋の入口付近の床。帰宅してドサッと置き、出掛ける時にそこから持ち上げるだけ。どこかに引っ掛けるでも、しまうでも無い。ただ、床に置く。

 

 

 

【第1位 飲み終わったペットボトル】

これは少し不潔に聞こえるかもしれないので、勇気のいる告白だ。ただひとつ言っておきたいのは、中身が入った状態のペットボトルは無いということ。私は飲み残しをすることが無い。部屋に多く見られるのは、完全に飲みきった空のペットボトルである。ただ、①ラベルとキャップを外し、②中身を洗い、③潰す という作業工程が不可能に近いと思われる。日々のちょっとした掃除でも、ワンシーズンに一度の大掃除でも、特に多く発見されるのがこの空のペットボトルである。

 

 

 

 

さて、散らかった部屋に住んでいる人の心に必ず存在するのが「このほうが私は落ち着く」というマインドだ。もちろん、大掃除をした後の綺麗な部屋も好きだ。でも3日後には見事に とっ散らかる。ということはつまり、私は心の奥ではこの散らかりを求めているのだ、と私は中学生の時点で完全に悟った。とはいえ、あまりの散らかりように自己嫌悪になる時だってある。友達の家に遊びに行って整頓された綺麗な部屋を見た後でこの乱雑な部屋に帰って来ると、自分はなんてできない人間なんだという気持ちにもなる。それもまた、とても人間らしい健全な思考ではないだろうか。「散らかっている方が落ち着くという気持ち:散らかり具合に自己嫌悪になる気持ち=7:3」、 多少の変動はあるが、平常時はこの割合で過ごしていると理解していただければ良い。

 

 

 

部屋の片付けのコツなら、何度となくGoogle検索してきた。3割ぽっちの自己嫌悪に陥るタイミングで、あらゆる片付け法を試したりもしてみた。でも私の部屋はいつも通り、泥棒と取っ組み合いになって〜以下省略〜ような部屋であることは変わらない。

 

 

 

そして今は、適度に散らかっていてもいい、それが私の部屋だ、という気持ちでいる。嬉しいことがあった日も、泣きながら帰ってきた日も、いつでも迎えてくれるのはこの乱雑な部屋で、ここが私の居場所、オフになる場所だ。ここでひとり音楽をかけて踊り回ってみたり、うずくまって涙を流してみたり、眠れぬ夜を過ごしたりするんだ。ダンボールや空のペットボトルや吊るされたままの服たちが、私を見守っている。いつもありがとう。明日は少しだけ片付けてみるね。

 

 

 

少年ハライチ

 

 

 

 

もうハライチはM-1に出ないと思った3年前。

ハライチはもう、M-1にこだわるのはやめたのかもしれないと思った。

 

 

そのときの気持ちはここに綴っている

 

 

 

初出場以来、若くして知名度が全国区になったハライチ。ハライチといえばノリボケ漫才ー左のおかっぱ頭が発した支離滅裂なワードに、右の坊主頭が小芝居を交えた半ギレでツッコむーという独自スタイルを完全に世に知らしめた。このスタイルではもうM-1で勝てない、でも世間の求めるハライチ像は未だそこにあって、自分がやりたい新しいスタイルはなかなか世間に浸透しない。自らが築き上げた革新的な漫才が、まさにそれが、皮肉なことに今自らの行手を阻んでいる。もうM-1にこだわらなくてもいい、ライブにお客さんが集まればいい、お客さんが喜んでくれる漫才をすればいいと思うこともできただろう。だけどハライチは最後までM-1にこだわり続けてくれた。そのこだわりをちゃんと形にして、決勝までいくことができる意地と実力には目を見張るものがある。しかも新しいスタイルで勝負に出た。出場することができる最後のM-1でだ。今までとは180度違う、正反対のようなネタを持って来た。ここ数年ハライチを追ってきたファンでさえ、どこにそんなもの隠し持ってたんだよ、と度肝を抜かれるような超斬新なネタをだ。今までは澤部の隣で表情姿勢を1ミリも変えずボソっとボケていたあの華奢な男が、同じ人物とは思えないくらいの躍動感で舞台を大きく使って飛び回り、叫び声を上げ、澤部に殴りかかる。その姿は、あるツイートの言葉を借りれば「この15年が全て振りだったのではないか」とさえ思わせた。

 

 

 

まず澤部のやりたいことを、岩井が全力で否定する。澤部は腹いせに、岩井のやりたいことを同じように否定してみせる。ところが、いざ自分が否定されると、イラついて舞台上で地団駄を踏み、顔を歪ませながら駄々を捏ねる岩井の姿は信じられないくらい面白い。ちゃんとした大人が大人げない姿を晒す姿はなぜこんなに面白いのか。相手の意見には簡単に同意しないくせに、自分が言ったことを否定されるとすぐにカチンと来てしまうという、人間の本質を俯瞰的にとらえて揶揄しているようにさえ見えた。そしてあのネタには、作成者である岩井の本質があるように見えたのだ。もちろん、彼がキレやすい人間だと言いたいのではない。

 

 

 

岩井の魅力は少年性にあると私はずっと思っている。岩井は一見クールで、冷静沈着に物事を見つめ、世間や人々を常に俯瞰で見ているひねくれた男というイメージを持たれがちだけれど、彼はむしろとてもピュアな人だと思う。もっと言うと、少年の心を忘れていない。「子供は正直」とよく言うように、子供は疑問に思ったことをすぐに聞くし、それが周りを気まずい空気にさせるかどうかなど気にすることなく発言する。忖度はしないし空気も読まない。でもそこになんの悪気もない。大人になると自然にその感覚は忘れていく。と言うより、その感覚を忘れることを「大人になる」と言うのかもしれない。「思っても言わないのが大人」「駄々を捏ねたくても我慢するのが大人」だ。けれども、岩井の中にはまだ少年の心が残っている。その少年性が彼を突き動かしている。相手の言うことに反論したくなる、意地悪されたらやり返したくなる、相手に受け入れて貰えないと地団駄を踏む、この構図は岩井の中にある少年性を全面に出したようなネタに感じられた。やり返す澤部と泣き叫ぶ岩井は、少年そのものだったのだ。「子供っぽい」のではなく、子供心を忘れていないのだ。その心こそが、見る人に子供心を思い出させ、時に共感させ、時に呆れさせ、笑わせる。彼らのように、内にある少年の心を形にして表現できる人こそ、芸人という生き方が天職なのだろうと思う。

 

 

 

誰もが思っても「言いづらいから言わないこと」を平然と言ってのける姿がカッコいい。好きなものは好きと言い、嫌いなものに嫌いと言える潔さがカッコいい。それはひねくれているのではなくて、嘘のない誠実さの現れではないか。もちろんそのことに初めから気づいていた人はたくさんいるはずだ。彼が同業の先輩から可愛がられる所以でもあるだろう。でもここ数年でハライチ岩井のそんな本質的な魅力が、自分も含め世間にどんどん浸透してきているのを感じている。

 

 

 

ラストイヤーのM-1決勝の舞台で、そこに少年を見た。文字通り暴れ回る岩井と静止する澤部の構図は、個人的には大逆転の大優勝だった。これによってさらにハライチの魅力が、しかも12年前のそれとは180度 姿を変えたハライチの魅力が、世間に知れ渡ったはずだ。

 

 

 

若き日の栄光に囚われず、進化を続けているハライチ。もう一度M-1の決勝で、そのハライチの姿を見たいというファンの願いを叶えてくれて、しかも自分たちがやりたかった漫才を正々堂々とぶつけてきてくれた最高にカッコいいハライチ、暫定ボックスから降りる時の2人の無邪気な笑顔が忘れられない2021年のM-1グランプリになった。

 

 

ハライチ、お疲れ様でした!!!
ありがとうございました。

 

 

 

おおよそ彼はラジオリスナー

 

 

 

職場に、もう一年くらい一緒に働いてるけどプライベートのことほとんど話したことない無口の30代の男の人が居て、今日ちょっとだけ喋ったんだが、もしかしたら深夜ラジオリスナーかもしれない匂いがしている。

 

 

きっかけは、いつもその人がまかないのうどんのつゆを出汁で薄めて食べてることから、もしかして関西人なのかと思って出身を聞いたことである。結果的に彼は全然関西人ではなかったし、そもそもうどんもそんなに好きじゃないとのことだった。じゃあなんでそんな食い方をするのかと聞くと、タモリさんが博多ではそうやってうどんを食うと言っていたのを聞いて自分もそうしていると彼は答えた。後で「タモリ うどん 博多」でググってみたら、確かに博多にタモリさんが愛するうどん屋さんがあって、そこのうどんはつゆが薄いと書いてあった。

 

 

 

そんなことはさておき、彼の口から「タモリ」という言葉が出た瞬間に私の脳内は稼働し始めた。つまりこういうことである。日常生活にタモリさんの意見取り入れるような人は間違いなくタモリさんが好きだし、タモリさんが好きなら絶対タモリ倶楽部を観てるし、タモリ倶楽部を好んで見るような人は大抵深夜ラジオ聞いてるし、深夜ラジオ聞いてる30代男性はおそらく一度はアルピーann(もしくは有吉さんのサンドリらへん)を通ってる。という独断と偏見によって、私は彼はおそらく深夜ラジオのリスナーであると結論した。

 

 

それと何よりも彼のシャイ感がいかにもラジオリスナーである。普段は口数は少なく、向こうから話しかけてくることはまずないが、かといって人と喋るのが嫌いかというとそうでもなくて、話しかけてみると意外とノッてきて喋り出す。男子相手なら積極的に喋るのに、女子とはあまり話さないところもまた典型的なラジオリスナーである。内気そうに見えて意外と面白いことを言ったり、優しそうに見えて意外と毒舌を吐いたりするところもまたそれを彷彿とさせる。

 

 

 

美容師の男性が大抵チャラくてサーフィン好きなように、長距離トラックの運転手が大抵元ヤンなように、または鉄オタがみんな同じような外見をしているように、タモリが好きな人はラジオという文化を好んでいる可能性が高い。と私は信じている。先週Eテレグレーテルのかまどを観た後にそのまま流していたら、伊集院光さんがやってる教育番組が始まったんだが、そこで紹介されていた社会学の考え方に似ているかもしれない(名前は忘れてしまった)。どうして冴えないアニオタの美容師を見たことがないんだろうと前から疑問に思っていたけど、この番組を観てなんだか頷けたのだ。うまく説明できないけど、簡単に言うと育ちや教育によってその人が好むものは決まるというような考え方だ。だから「アレが好きな人はコレも好き」とか「アレが好き人はコレは苦手」というパターンがなんとなく決まっているというのは事実としてあると思う。例えるならば、タモリ倶楽部が好きな人は深夜ラジオも好きだとか、深夜ラジオが好きな人は女の子と喋るのは不得手だとかいった具合に。

 

 

 

もしアルピーannのリスナーだった場合、自分が川崎出身だと言えばそれだけでしばらくは会話が弾む可能性が高いと言える(会話してくれるかは別として)。さらに言うと今はアルピーdcgを聴いてる可能性が高く、あわよくばチョコレートナナナナイトを聴いてる可能性も高く、さらにさらに言うと乃木坂ファンの可能性も高くなってくる。つまり沈黙の金曜日を聞いているだろう。思い返せば以前に、バイトの大学生の女の子が私に向かって「村崎さんって乃木坂のまいやんに似てると思います」って言った時、それを後ろで聴いていた彼が持っていた鍋だかなんかを盛大にひっくり返したことがあったなぁ・・・(考えすぎだし、念のため付け加えておくとバイトちゃんの目が異常なだけで私はどう頑張っても白石麻衣に1ミリも似ない

 

 

そして彼は、まさかこの私がアルピー三四郎を筆頭に深夜ラジオが好きで(最近はあんまりちゃんと聴いてないけど笑)、【長靴を履いた豚】という謎のラジオネームで三四郎ann0時代にデビューしたことがあり、いつかもらった星のギガボディのノベルティのタトゥーシールをWALKMANの裏に貼っていて(タトゥーシールなのに笑)、ハガキ職人をソラで10人は挙げられて、ゲーム好きでもないのに勇者ああああを毎週欠かさず観ているような女子であるとは、予想だにしていないことだろう。

 

 

 

って書きながらちょっと思ったけど、アルピーann聞いてたにしてはちょっと世代が上かもしれない。私と同年代だったら完全にあり得た話なんだけど。まぁそれにしても、彼が発した「タモリ」という3文字からここまでの興味深い考察(※注)ができるくらいには暇なナスコなのであった。

 

※注:考察という名の妄想であって、事実ラジオの「ラ」の字も話題に上っていないので、この話は実在の人物を元にしたフィクションです。