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言わなくてもいいことを言いたい

おっさんずラブなんかが世で流行するずっと前からわたしは田中圭が好きだった

 

 

下積みの頃からインディーズの頃から無名の頃から知っててずっと応援してて、追っかけてたし出待ちの常連だし、差し入れたお菓子「美味しかった」って言ってくれたことあるし、プレゼントしたTシャツ舞台で着てくれてるし、まじで成長ずっと見守ってきたんだけど、最近テレビとか出始めて一気に名前売れたらミーハー虫が付きまくって、本当はもっと尖ってたのに、そこが好きだったのに、ファンの若い娘とか大物芸能人とかメディアにヘェコラしちゃっててなんか違う、もうあたしの好きなあの人じゃない、今まであの人のためにどれだけつぎ込んできたか分からないけど、離れる時は一瞬だ、ファンなんかやめてやる、やめてやるやめてやる!・・・あーでもやっぱ好きぃぃ‼︎ (号泣)

 

 

っていうメンヘラ古参ファンいるやんか。

 

 

 

わたしの場合、それが田中圭なのね(ごめんなさい、そこまでじゃありません)

 

実際いつから田中圭好きなのかもう明確な時期は覚えてないんですけど(オイ) まぁウォーターボーイズ、ごくせんとかちらちら出てたじゃないですか。なんとも言えないポジションで、例えるならば平岡祐太みたいな、塚本高史みたいなそのあたりのラインで活躍していたと思うんですよ。個人的には。主役張ったりCMにでたりはしないけど、顔は分かるみたいな。名前の文字面はよく見るみたいな。ドラマや映画にはそこそこ出てて、常時ファン:一過性ファン= 3:7みたいな。(いろんな方面に失礼)

 

 

 

ブコメなんですよ、田中圭は。わたし的には。2010ねんですね〜…ハイ自慢できるほど古参じゃないですねハイ

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わたしこんとき中学生なんですけどね。香里奈なちーーー。香里奈とか好きだったわー。雑誌買ってたー。でまぁ話戻すけど、このときの田中圭がいいんだよねぇピュアでさぁ。はまり役だったんだよね。

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見てくれ。この、今と1ミリも変わってない田中圭を。え?昨日の姿ですか?って感じやろ。約10年前ですよ?変わんないな〜。

 

 

 

そしてこちら。

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全く変わってません。順番的にはラブコメよりこの映画の方が早く公開されてます。

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物語の後半で爽やかに登場する一見好青年な新人だが、実は超性悪の腹黒男。ピュアもいいけれど、こういう陰湿な役もいいです。

 

 

まぁ〜〜なにしてもカッコイイ。そしてカワイイ。笑った時に目尻から頬までくっきり入っちゃう皺とか最高じゃないですか。笑った時の目尻の皺だけで女子を殺せる俳優ランキングトップ3に入りますよね確実に。反町隆史藤木直人に並べますよね。しょうゆ顔界の王子ですよね。向井理がキングで田中圭が王子、これが世間の総意ってことでいいですよね?

 

演技も最高なのですよ。スーツにメガネな真面目ドSキャラもよし、おっちょこちょいで天然な後輩キャラもよし。最低な浮気男もよし、頼りになる兄貴分もよし。金髪なおバカヤンキーもまたよし。イケメンだけど三枚目もイケちゃう。二刀流。そう、田中圭は役者界の大谷翔平なのだ。大谷翔平が小学生の頃から既に田中圭大谷翔平だったのだ(意味不)

 

 

 

その後、テレビや映画に多数出演するもあまりぱっとした役所はなく、主演といったら相棒劇場版のスピンオフくらいなものだったわけなんですけども。それでもわたしは「好きな俳優は?」と聞かれれば「田中圭」と即答するくらいには田中圭好きだったわけですよ。実家マンションの5階に田中圭を3回くらいダビングしたみたいな顔の住人(既婚)がいて、帰省した時にマンションのロビーですれ違っただけでニヤつけるくらいには好きなんですよ。

 

そんな隠れたエース田中圭が脚光を浴びたのが2018年。「おっさんずラブ」だったわけですよね。今まで見向きもしていなかった、いや見ても見ぬふりをしていた世の中の女子たちが一瞬にして手のひらを返したわけですよね。もはやこれは南キャン山ちゃん現象といってもいいですよね。今や結婚したい俳優トップ10に余裕でランクインですよ。あの林遣都も見上げるような大出世。しかしわたしは物申したい。おい女子たち。君らは田中圭の何を知っている?香里奈を抱きしめたあの日のことを覚えているか?もしくは小池徹平を貶めた日のことを。いますぐTSUTAYA田中圭の出演作ぜんぶ借りてこいや!と言いたい。

 

 

 

 

・・・ということで、タイトルで随分と大きく出た割には古参ファンでもなかったけどまぁとにかく好きな田中圭についてお伝えしました。

 

 

かけがえのないBest Friend

 

 

大切な君iPhoneにこの曲を送ります。

 

 

こんな遅い時間にゴメンね
一人じゃせっぱつまってきたの
君の声少し聞けたら
がんばれる

【解説】

LINE使えないのは、さすがに切羽詰まります。あんな孤独な夜はなかった。君の声(通知音)が聞きたくてしょうがなかったです。

 

何でも打ち明けられる
ママにも言えないことも全部
誰よりも分かってくれる

嬉しい時は自分の事みたいに喜んでくれて
ダメな時はちゃんと叱ってくれる存在

【解説】

ママ(を含め誰にも)に言えないこと、全部ツイッターで吐いてます。

 

ありがとう
君がいてくれて本当よかったよ
どんな時だっていつも
笑っていられる
例えば、離れていても 何年経っても
ずっと変わらないでしょ
私たちBest Friend
好きだよ、大好きだよ

【解説】

本当に君がいてよかった。むしろ君がいないともうやっていけない。スマホないと生きていけない。これをスマホ依存といいます)自分の無力さ思い知ったの。君さえいれば、何があっても大丈夫。一つだけ言えるのは、「例えば離れていても何年たっても」は嘘。いっときも離れたくないです。

 

 

 

 

 

iPhoneちゃん!わたしのiPhoneちゃん!帰ってきてくれてありがとう。無事に、見つかりました!!!!!ご心配をおかけしました。コメントくださった皆様ありがとうございました。

 

 

結局、例のおばあちゃまの家にあったのです!!どこを探しても無くて、やっぱりおばあちゃまの家が一番有力だということで、再度捜索させていただいた結果、なんと食卓テーブルの上にドドンと大胆に、かつナチュラルに放置されていました。一度探しに行った時はあんなところにはなかったのにな…。あの時はテンパってて見つけられなかったのかもしれない。発見して歓喜しているわたしの横で、案の定おばあちゃまは「あ?へ?なにが?(この人はいったい誰だっけ)」という表情。

 

きっとあいぽんちゃんのほうも、わたしに会いたくて会いたくて震えていたことでしょう…(LINE通知が)再会した時にはすでに震え切って死んでましたけど…。

 

 

本当に、会えて良かった…。

 

 

これからもどうぞよろしくね

こんな私だけど笑って許してね

ずっと大切にしてね

永久保証の私だから

 

 

(作詞・Kana Nishino)

 

スマホなくしただけなのに

世の中には二種類の人間がいる。

スマホをなくす人間と、そうではない人間だ。

 

 

探し物はなんですかースマホなくすとかクズですかー

後半はうまいこと詰め込んで歌ってください

 

 

最悪です。気分は最悪。だけどもうなんかどうでもよくなってもいる。

今朝、スマホをなくしました。なんなん。自ら仕事増やしてどうするん。Mですか?もう〜〜〜〜訪問介護の仕事をしていましてね。今朝、8時からあるお宅を訪問したんです。そこでスマホを取り出したのが最後の記憶で、次の家に入室する前に時間が知りたくてスマホを確認しようとしたら見つからないのです。あー、絶対前の家に置いてきたやん。それやん。基本、利用者の家にサービス以外で訪問してはいけないんですが、もう例外ですよね。基本じゃないですからこの状況は。原則超えていい案件ですから。速攻で一軒目の家に戻ることにしました。

 

なかったらどうしよう。もうそこしか思い当たるとこないけどな。なかったらどうしようかな。おばあちゃんちょっとボケてるから、わたしのスマホ見て「なんじゃこれ。バブかな?」って思ってお風呂に入れちゃったらどうしよう。「なんじゃこれ。アクリルタワシかな?」って思って鍋洗っちゃったらどうしよう。「なんじゃこれ。布団叩きかな?」って思って布団叩いてたら手から滑り落ちて、3階のベランダから落下したスマホは粉々になって、おばあちゃんがそれをじっと眺めてから「あーあ。まぁいっか」ってなってたらどうしよう。宮下草薙ばりにネガティブなことし思いつかないけど、そうこうしているうちに当のお宅に到着。ところが、訳を話して確認したもののナシ。わたしが置いたはずの場所にもなく。おばあちゃん自身も「はて?(この人はいったい誰だっけ)」状態。あまり長居したくないので謝ってさっさと出てきてしまったけど、トイレとお風呂も確認すれば良かった。あー?どういうことだこれは?まさか自宅に置いてきたパターンか?いやでも確かに利用者の家で取り出した記憶あるんだよなぁ、あれは幻覚?思い込みか?とりあえず一旦自宅に帰ろう。途中、市の防災無線が街に鳴り響いて「光化学スモッグ注意報が発令されました。外出はなるべく控えましょう」だのと言っている。なんだよ。こんなに無駄な外出してる奴、この界隈でわたしだけだろ。なんだよなんだよ。

 

家に帰ってもやっぱりスマホはない。そうだろうと思った。もういいや交番に行こう。交番に行ってもスマホの届け出はない。紛失届けを出す。「スマホに何か特徴はありますか」とお巡りさん。「いやー、iPhone 5sのゴールドということくらいしか・・・カバーはつけてますけど。青色の無地の」「それだけだと情報が少ないですねー。断定できそうなものないですかね?」悪かったね、特徴なくて。しょうがないだろ、生まれてこのかた地味に無難に生きてきたもんでね。しかしこういう生き方を「シンプル」とも言うんだよ。シンプルイズベストという言葉があるんだよ。シンプルはベストなはずなんだよ。スマホをなくした時以外は。「ないですね・・・すみません」

 

もう嫌になる。嫌でもうずくまってるわけにはいかない。午後からまた仕事だし、マックでお昼にしよう。マックはめちゃくちゃ混んでいる。レジの女性は50代くらいのベテランスタッフで、慣れきった様子で注文を聞いているもののやはりどこかに焦りと疲れが見える。スマイル100円って感じ。他人の昼飯のメニューを聞いては奥に伝え、聞いては奥に伝え。たまにレシートの紙を補充し。そんな毎日ってどんなだろう。その後数十分もすれば他人の胃に入って消え去るモノを効率よく準備するために必死で働いて、それでお金をもらってるんだなぁ。もちろんレジスタッフがいなかったら誰もマックでご飯たべれないけど、マックがなきゃケンタッキー行くし、別に蕎麦屋でもいいしなぁ。みんな生きてるんだなぁそれぞれ。

 

とか。ほら。スマホなくすとこういうこと考え始めたりする。他にすることが無い。ポテト、チーズバーガー、ポテト、ポテト、手についたポテトの塩、からのオレンジジュース。食べることしかない。スマホが無い生活ってなんだっけな。思い出せない。生まれた時からスマホを持っていたわけではないのに。スマホを持っていない時自分は何をしていたのか忘れた。でも、スマホがないと楽でもある。シガラミがない。誰からも連絡が来ない。ウーマン村本が「大麻合法化しよう」って言ったとか、沢尻エリカが「SNSで悪口言ってくる奴に、そっちが死ねよって思う」って言ったとかいうネットニュースも正直いらない。てか、スマホって必要か?携帯電話など、ここ30年くらいで登場してきた代物だ。無い時代だってみんな生きていた。なんでこんなに依存しちゃってるんだろうなぁ。無くなったら無くなったで、楽しく過ごせそうだけどなぁ。

 

とかいうことを今わたしは、タブレットに打ち込んでいる。なにが「生活からスマホ無くなったら楽しそう」だよバーカ。頭悪いんか。タブレットいじってんじゃん。はー、タブレット持ってて良かったー。スマホ無くてタブレットも無かったら、本当に何をしていいか分からないわ。嗚呼、心の貧しい人間。読書でもするか。ひとまず今日は交番からの連絡を待とうか。早くスマホが見つかりますように・・・。

 

 

そうだ、ファミレスに行こう。

 

 

今宵はデルタホースに行けない憂さ晴らしで、下北沢を通り過ぎて神泉で降りて、駅から五分くらい歩いたところにあるデニーズに行ったら、そろそろ東京03の飯塚さんと角ちゃんがいて単独ライブのネタ作りが佳境に入ってるとこかもしれない。芸人界では余りにも有名すぎる話だが、彼らは今でも売れない若手芸人のようなスタイルで、ファミレスでネタ作りをする。そして東京03のファンなら少なくとも一度は試みたことがあるだろうが、単独ライブの前のこの時期になると淡い期待を抱いてそこへ向かう。

 

忘れもしない3年前の5月、その3週目の金曜日にわたしは神泉のデニーズにいた。メニューの中からとにかく安いメニューとドリンクバーを注文し、2時間ほど張り込んだだろうか。目の前に現れたのは、重そうなリュックサックを背負い派手な赤い松葉杖をついた中肉中背の男。黒縁眼鏡に、禿げ上がったおでこ。店員はゆっくりと彼を奥の席へと案内していく。そう、紛れもなく彼こそがあの男。2009年キングオブコント優勝したお笑いトリオ東京03のボケ担当、角田晃広である。

 

見たいけど見れないかもしれない、期待と不安が入り混じる複雑な感情から解き放たれる。「で、でたーーー!」出るとは言われていたけど、まさか本当に出るとは。肝試しで白い服を着た長髪の女に出くわしたかのような、あるいは海底で幻の深海魚に遭遇した探検家のような興奮に包まれたわたしは、席に座った彼の後ろ姿 その後頭部を無遠慮に凝視した。

 

コミュ障だからもちろん声などかけられない、ただ同じ空間にあの敬愛する東京03のメンバーの1人が存在しているという事実だけで充分なのである。残念ながらその日は長居できず、大本命 飯塚さんをこの目で見ることはできなかったものの、満足だった。しかも赤い松葉杖をついた角田さんなんて、通常の角田さんよりレア度が高い。「東京って、すげぇな・・・」これが当時のわたしの心中である。(注)筆者は東京出身

 

 

それはさておき。そろそろそんな季節である。行ってみようか。久しぶりにあの場所へ。もし出くわせなかったとしても、そこまで赴く為の消費を全く苦と思わない。もう十数年も彼らが健やかにネタ作りができる環境を整えてくれているデニーズ南平台店には感謝しかない。わたしが東京03のネタを楽しく見ることができているのも、このデニーズ南平台店が頑張り続けてくれているおかげである。これまでの感謝と、これからもよろしくお願いしますという意味も込めて、喜んで一食いただいてこようではないか・・・

 

 

 

 

 

 

・・・じゃなくて!本当はこんなことじゃなくて、最近売れかけてきている宮下草薙について書こうと思っていたのに、気づいたらなんか書き走っていました。おかしいな。とにかく東京03さん、これからもずっと応援してます。

 

 

私をくいとめて

 

 

生活にどうも行き詰まった時に、綿矢りさの小説を読んだりするのが好きです。綿矢さんの小説はわたしの癒しです。今回はじめて読んだ「私をくいとめて」はナスコ的 綿矢りさ作品ランキングの、かなり上位にランクインしました。

私をくいとめて

私をくいとめて

 

 

 

どれを読んでもそうだけど、どうしてこの人はわたしの思ってることをここまで上手く、まっすぐ代弁してくれるのだろうと思います。毎度、不思議でなりません。おこがましい話だけど、綿矢さんもきっとわたしと同じような思考パターンを持っていたり、同じような気持ちになることがあったりするんだろうなぁって勝手に思ってます。綿矢さんは感情描写に重きを置いた作品を書かれるのですが、それはもはや主人公の感情というよりも、半分エッセイを読んでいる気もしてきます。

 

 

主人公は33歳の独身OL。お金あり、恋人なし。ミニチュア収集が趣味で、ちょっとした特殊能力を持っています(笑)ファンタジーではないですけどね。独りでいることの幸せと寂しさの間で揺れまくっている、いかにも!いかにも綿矢さんが描きそうな人物!とわたしは勝手に思っています。

 

以下は、わたしが首の骨折れるくらい激しく同意した部分をメモしておこうと思います。

 

 

 

ほんの一瞬の幸せじゃなく、小さくてもずっと感じていられる確かな幸せを探し求めてきたはずなのに、私はまだ見つけていない。心配ごとがいつかすべてなくなる日なんて来るのだろうか。どうして私は、いつでも不満なことがあるのだろう。課題がいつも視界を塞いでいる。ちょうど目の高さに掲げられた真正面のカードをにらみ続けている。一本足のカード台に載せられたそのカードは名刺くらいの大きさで、語尾にクエスチョンマークつきの短い問いが書いてある。答えを解いてそのカードが引き抜かれても、後ろからまた新しいカードが出てきて、またすぐ問題を解決しなきゃいけない。

問題が解けて嬉しいのは、古いカードがひっこみ新しいカードが見えるまでの、ほんの一瞬だけ。

いつかカードが尽きて本当のゴールにたどりつける日が来る、これだけ努力したんだから来ないと許さない、押し付けがましい希望を持ちつつ、解き続けている。けれど根本的に生き方を変えないと、いつか破綻してしまうだろう。本当はカードが尽きる日なんてないことにうすうす気づき始めている。

 

 

これを読んだあと、たまたまオードリー若林さんの著書をチラッと読んだんです。相方のことについて書いてあるんですけど。オードリーが芸人として全然売れなくて、風呂なしのアパートで三十路を迎えようとしていた時も、M-1でテレビに出て売れて稼ぐようになってからも、それでも仕事はいつ減るか分からないと若林さんが焦っていた時も、春日さんのほうはいつでも幸せ度が同じなんですって。若林さんがこのままじゃまずいって相当追い詰められている時に、春日さんは横でゲームをしていたり、後輩と騒いでいたり、ただ今が楽しいというだけの理由でいつでも同じだけの幸せを感じているんだそうです。悪く言えば「向上心が皆無」、良く言えば「その日その日を楽しく前向きに生きている」。若林さんは(というか大抵の人は)今が充実しているならそれを維持したいし、もしくは今よりもっと良い生活を送りたいって気持ちからいろいろ改善したり努力したりするけれど、春日さんにはそれが一切通用しなかったみたいです。

 

そういう人をみてると確かに、自分にはどうして次から次へと課題が突きつけられているように感じるんだろう、どうしていつまでたっても満足できないんだろう、どうして自分で自分を縛ってまで努力しなきゃならないんだろうって考えちゃうんですよね。わたしは我儘なんでしょうか?ひねくれてるんでしょうか?不器用なんでしょうか?いつだって「余裕のある生活」がしたいのに、いつになってもそれを手に入れられない気がする。そもそも「余裕」って何かをうまく説明もできない。そんなもの本人のさじ加減でどうにでもなるのかもしれないけれど、ずっと追いかけている。この気持ち悪さ、生きづらさはいつまで続くんでしょうか・・・

 

 

 

「ううん、多田くんはなにも悪くなくて。自分が根本的に人を必要としていないことがショックだったの。人と一緒にいるのは楽しい。気の合う人だったり、好きな人ならなおさら。でも私にとっての自然体は、あくまで独りで行動している時で、なのに孤独に心はゆっくり蝕まれていって。その矛盾が情けなくて
「オレンジジュースを飲まないと死んでしまう人はいますか?」
「めったにいない」
「水を飲まないと死んでしまう人はいますか?」
「人間はみんなそうだよ」
「では、オレンジジュースが好きな人はいますか?」
「いっぱいいる」
「そうです。根本的に必要じゃなくても、生活にあるとうれしい存在はたくさんあるんです。というか、私たちはそういうものばかりに取り囲まれて生きていますよ。根本的に、なんて思いつめなくていい。多田さんに優しくして、彼が疲れているときは寄り添い、暗いときは何気無い会話でリラックスさせてあげなさい。彼の喜ぶ顔が見られたらうれしい、そんなささやかな実感が、愛です。相手の心に自分の居場所を作るのは楽しいですよ。大丈夫、あなたならできます。」

 

 

主人公が、久しぶりにできた恋人とギクシャクしてしまい凹んでいる時に、アドバイスを受けるワンシーンです。「根本的に必要じゃなくても、生活にあるとうれしい存在」を、わたしもいつか見つけたいし、誰かにとってそういう存在でありたいな、と思いました。それくらいの感覚でお互いを思える相手って、なんかすごく理想。

 

ちなみに、この最強の香りがするアドバイザーはいったい誰なの!?って気になった方は是非、小説を読んでみてください!なかなか興味深いですよ。

 

 

 

 

 

綿矢りささんの他の作品の感想も書いてます。