斜め上からナスコ

言わなくてもいいことを言いたい

愛の話:「ひらいて」を読んで

 

 

 

誰かが私の側を通り過ぎて行くとき、私はいつもそれが見知らぬ人でも、相手の手をつかんで立ち止まらせたくなる。さびしがりのせいだと思っていたけど、恋をして初めて気づいた。私はいままで水を混ぜて、味がわからなくなるくらい恋を薄めて、方々にふりまいていたんだ。いま恋は煮つめ凝縮され、彼にだけ向いている。

 


どうしてもっと早く読まなかったんだろう、と後悔しました。

 

綿矢りさ「ひらいて」

ひらいて (新潮文庫)

ひらいて (新潮文庫)

 

 

 


高校生か、いや中学生の時に読んでいても早くはなかっただろうと思います。思春期真っ只中に読みたかった。今、思春期を迎えている方には特にお勧めしたい一冊です。異常で過激な作品だけれど、素晴らしい。綿矢りささんの才能にはあらためて感服です。

 


主人公の「愛」は、華やかで、モテて、強く自信に満ちた女子高生です。そんな彼女が恋をしたのは、クラスメイトの地味な男子。無口で、目立つことを嫌い、教室の隅でひっそりしていて、その瞳には悲しさがある。愛とはまるで真逆のキャラクター。愛は自分でもなぜ彼に惹かれているのかが分かりません。ただ同じ空間にいるだけで胸が苦しくなり、完全に支配されてしまうほど、彼に惹かれているのです。一方で彼はといえば愛になど微塵の関心も示さず、愛はそのことに苛立ちさえ感じてるほどなのでした。

 


物語はすすんでいきます。彼に話しかけるチャンスを伺い、やや異常な仕方で彼に探りをいれていくうちに衝撃的な事実が発覚します。自分だけが魅力を知っていると思っていた彼には、なんと純愛で結ばれた彼女がいたのでした。それから愛は嫉妬に狂い始めます。彼女に近づき、どうにか二人の関係を解消させ、男を自分のものにできないかと画策するうちに、自分でも処理できないほど事態を複雑化させた愛は、いよいよ勢いを増して二人を巻き込みながら、少しずつ崩壊していくのです・・・。

 


苦しみ。手に入らない苦しみ。手に入れればまた別の苦しみが始まると分かっているが、餓えている今、どうやって求めるのをやめればいいのか。けど、手に入っていない時の不安を楽しむなんてわたしにはできない。・・・毎日、切実に生きてる。みんなそう。みんなそう、という事実に心を慰める作用が少しでもあれば、ここまで孤独にはならないのに。

 

 


冒頭で引用した文章からも汲み取ることができるように、「認められたい」、「受け入れられたい」、「愛されたい」という強い願望が、愛の根底にはいつも流れています。「愛の」というより、「人間の」根底に流れている願いです。しかし、愛が出会ったこの二人の男女は違う。彼らはその感情が圧倒的に欠けています。その理由についてはネタバレになってしまうので言えないのですが、愛が持っていない絶対的な強さのようなものを二人は持っています。


なにかを頑張るときに私のエネルギーの源となる“自分を認めてもらいたい”欲望が、彼女には欠けている。それを失くせば私は無気力になり生きていけないから、必死で守っているのに、彼女はあらかじめそれを手離し、穏やかに朽ち果てるしかないとしても、無抵抗で流れに身をまかせる。他人を思う十分の一ほども自分を大切にしない。・・・私から見ればただの馬鹿だ。私はその馬鹿さに時々泣かされそうになる。


なぜそのような強さを持つことができたかと言えば、悲しみと引き換えに手に入れたからなのです。そして、絶対的に守るべきものがあるからなのです。そうはいっても、この二人もまだ高校生。大人になるため成長していかなかればならない。そんな時に二人が出会うのが、脆く人の温かみに餓えた人間臭い女の子、愛なのです。彼女は二人の関係を破ろうと躍起なのですが、そんな愛の生き様がかえって二人を教え成長させていく。この三人の登場人物は、お互いを砕きあっているように見えて実は築き上げている。爽やかさとは程遠いけれども、繊細で、しかし力強い友情を描いた青春小説といえます。

 

 

 

 

 

物語の終盤。ある出来事により、二人の間の強い関係を引き裂くことなど到底できるはずがない、と愛は確信します。むしろそんなことをしようとしていた自分に恥と罪深さを感じ、そして何よりも、今まで強いと思っていた自分はこんなにも弱い生き物だったのかと痛感します。傷だらけで、もはや原型を失った自分を見つめる。失恋、という一言では表すことのできない、人生を揺るがす絶望を味わった愛。ある朝、愛は母親に聖書を朗読してくれないかと頼みます。(母親がカトリック系の大学に通っていたこともあり、食卓テーブルにいつも聖書が置いてあります)

 

母親が何の気なしに開いて読んだのは、イエス・キリストの有名な垂訓の一節。・・・野の花を見なさい、なんと美しいのでしょう。明日炉に投げ込まれるこのような野の草にさえ、神様はこのように装ってくださるのだから、まして人間によくしてくださらないわけがあるでしょうか。何を食べるか、何を飲むか、何を着るかなどと言って心配するのはやめなさい。あなたたちの天の父は、あなたたちの必要としているものをみな知っているのです。・・・愛は泣きだします。

 

私は神様なんか信じない。存在しない存在にすがるなんて、みじめだと思う。でも信じられないのに、なにかを信じなければやっていけない。“なにも心配することはない。あなたは生きているだけで美しい”と丁寧に言い聞かせてくれる存在を渇望し、信じきりたいと望んでいる。自分もだれかのそんな存在になりたい。・・・ささやかなつながりをいつもいつも求めている。そんな存在がなければ、本当に困ったとき、一体なにがつっかえ棒になって、もう一度やり直そうと奮起させてくれるのだろう?

 


人間は弱い。一人では生きていけない。その事実を認めて初めて、強さを身につけていくことができると思います。自分の弱さを認められることは、強いこと。何かを信じきるということは、強いこと。その強さを持って、他者を支えられる存在になりたい、と思ったこと。これが、主人公・愛の成長です。

 

 


そしてラストシーンは爽快です。この小説の中で一番明るくて美しい場面だと思いました。これをハッピーエンドと呼べるのかどうかはわからない。ただ、多くを失ったけれど、もっと大切な一つを手に入れたと思います。「ひらいて」ーこの言葉にはどんな意味があるのか。この物語には「ひらく」から連想されるものがたくさん出てきます。その心情を表す彼の手、または愛が折り続けている折り鶴、そしてそれぞれの心。いろんな想像が無限に広がっていきます。

 

 

思春期というのは重くて気怠いものだけど、その時に経験したこと、感じたこと、敗北や絶望、それらはすべて絶対に無駄ではなく、むしろ大切にすべきもの。この多感な時期にしか感じることのできないもの、考えることのできないことがあります。それがどんなに汚れていて醜くても、今は心から愛おしいと感じます。だからわたしはこの「愛」という女の子が大好きです。この皮肉めいた、憎しみに満ちた、それでいて心地の良い「愛」という名前の女の子が。

 

 

 

 

ぜひ手にとって読んでみてください。そして、綿谷りさワールドにボコボコにされてください!