斜め上からナスコ

言わなくてもいいことを言いたい

ケビンス単独

 

 

先週、友人が泊まりに来るのを機に模様替えと断捨離をした。せっかく片付いた部屋をできる限りキープしていたいと思い、最近はなにかしらの片付けを毎日欠かさずやるようにしている。一日のうち必ず一度は片付けの時間を設ける。ほんの5分でもいい。好きな曲を一曲聞いている間だけでもいいから、とにかくそこに置いてあるものを元々あった場所に仕舞うという作業。日々の小さな散らかりの積み重ねが豚小屋への道に繋がっているから。

ひとまずこの1週間は片付いた状態をキープすることができた。部屋が片付いているということだけで、自分への好感度が上がりまくる。少しの自信になる。というか今の私は実際こういうことでしか自信を保てない。何かのことで凹んで帰ってきたとき自室がとっ散らかっていると、ますます自分のことが嫌になる。自分のことが嫌になる要素を、削ぎ落とせるところから削ぎ落としていこうというイメージ。

 


エレクトロニック系を聴いてみたいと少し前から思っていたけれど、その界隈の知識が無さすぎて、全く手を出せないでいた。そしたら先日のケビンスの単独で使われていた楽曲がどれも好みだったので、in the blue shirtをひとまず何曲か買ってみた。とてもいい。ずっと聴いていたくなる心地よい音の羅列。いいものを教えてもらった。オープニングで使われていたEverything  Affairは、聴いているだけでちょっと泣きそうになる。これは完全に仁木くんのせいかもしれないけど。笑

漫才大家族のときの音楽もエレクトロニック系だけれど、スタッフが同じなのだろうか。大家族とかいう、縁側のある日本民家を思わせるようなタイトル(フライヤーもそんな感じ)なのに、音楽がやけにスタイリッシュなのでギャップがありすぎていつも笑ってしまう。

 


ケビンスの第3回単独公演。自分の脳内にある絵コンテみたいなものが、現実に形になっていくというのはどれほど楽しいことだろうかと思った。お笑いライブというより、仁木くんとコンボイの脳内の文化祭に参加したみたいだった。文化祭には、食べ物を売る教室もあれば、お化け屋敷を作る教室もある。演奏をする人もいるしクイズ大会をする人もいて、目的はお客さんを楽しませることだけど、その方法は色々だ。そんな感じで仁木くんにとって漫才は、数ある楽しませ方のひとつにすぎないのかもしれないと感じた。絵を描いたり、映像や曲を作ったり、コンボイに何かを演じさせたり、とにかくたくさんの“楽しませ構想”の手数があって、それを自由に形にできる単独ライブはまさにやりたいことの真骨頂というか、やりがいの塊だろうなと思った。ケビンスというエンターテイメントがもっと好きになった。

私もそういうことがしてみたかったなと思う時がある。イラストでも物語でも音楽でも映像でも、脳内にあるイメージを自由自在に形にできたらいいのになぁって、子供の頃からずっと思っていた。色々な表現方法がある中で私にできる表現の限界は拙い文書にすることまでだから、そうしてきた。でもあんなふうに自分の書いたものがノートから飛び出してくるようなことが実現したら、もうそれで死んでもいいと思うくらい満足できるかもしれない。かっこいい。本当に憧れる。突き詰めた人だけが味わえる感動だろう。それをただ見せつけられた。私は視聴者側の人間だと痛感させられることしかできない。ケビンスはこれからもそういう単独をやり続けてくれるだろうと思った。むしろ年を重ねるごとに表現の濃度やディテールのクオリティはどんどん上がっていくに違いない。

今週末のトークライブも楽しみだ。