斜め上からナスコ

言わなくてもいいことを言いたい

もらとりあむナス子

 

 

 

今年の漢字が発表される時に、どこの報道番組でも「今年の出来事 総まとめVTR」が流れます。わたしはアレがけっこう好きです。1年は短いようですが、世間での出来事を振り返ってみるとこれでもかというくらい話題があって、やっぱり1年はそれなりに長いものだと感じます。そしてそれを自分ではすべて思い返せないので、そうやってVTRにしてくれると助かるのです。あぁ、そんなこともあったな、あれは今年のことだったか、などと思うことが好きです。

 

 

今年の漢字は「災」。確かに自然災害が異常に多かったし、人災も多かった。「平成」と名のついた時代の締めくくりを象徴するのが「災い」とは、なんとも皮肉な現実ですね。

 

さて、自分の身に起きた災いはなんだったかなと考えてみましたが、災いというほどのことはありませんでした。大阪や西日本の人たちに比べたら〜とかそんな綺麗事ではなく、本当に何もなかったです。かと言ってとびきりイイコトがあったというとそれもないので、平穏に過ごした1年だったのだと思います。

 

 

 

 

わたしはスマホに日記をつけています。瞬間日記というアプリがあって、これを4、5年くらいずっと使っています。ひとことだけでも長文でも自由に書けて、写真をあげたりタグ付けしたりもできます。パスコードもつけられるので安心。カレンダー式に表示することもできるので、去年の今頃の自分がどんなことを呟いていたかもすぐにチェックできます。無料アプリで広告もほとんどないのでとても使いやすくて気に入っています。いわば「1人ツイッター」みたいなことです。

 

 

毎日定期的につけるというわけではないです、そんなにマメなことはできません。ただ何か思ったり考えたりしたことをメモみたく残しているだけです。今年の日記を振り返っていました。なんだかよくわからないですが、今年は「自分の存在意義」みたいなことをよく考えている年だったみたいです。自分とは何か、自分が本当にやりたいことってなんなのか、みたいなことをよく考えていました。(今更かよ・・・)

 

やらなければならないことと やりたいことの食い違いが生じ、結局自分は何をすればいいのか分からなくなり、嫌になって現実から逃げる。の繰り返しです。わたしにとってはそのためにお笑いや音楽があるんですね、現実から逃げるために。だから日記の中で、現実から逃げてお笑いや音楽に浸っている時のわたしと、現実を突きつけられて落ち込んでいる時のわたしのテンションの落差が激しすぎて、人格分裂してるんか?とツッコミたくなりますよ。そんな幼稚なスパイラルから抜け出せぬまま、また今年が終わると思うとゾッとしますな。

 

 

「自分の存在意義」って結局考えても意味がないというか、そうやって「自分自分」になっているとかえってどんどん分からなくなるというか。他人が居てこそ自分がいるんだなと、考えさせられたこの一年でした。他人から自分を認識してもらうことで、自分も自分を自覚できる。だから自分のことばかり考えるのをやめて、外に目を向けていこう、そうすればおのずと自分の姿が浮き彫りになっていくものなのだという結論に至ったわけです。ま、そんなこと頭でわかっても実際そういう思考パターンを作るのって簡単なことじゃないんですけど。

 

 

ということで、わたしの今年の漢字は「我」です。(ということで?)

 

 

 

 

あーあ。来年はもっとステキな大人になれますように。

つーかまず大人になれますように・・・(汗)

 

 

 

 

平成最後はこの一曲?

平成ペイン

平成ペイン