斜め上からナスコ

言わなくてもいいことを言いたい

NEOかわいい

 

 

 

 

どうでもいいの極みみたいなこと言いますね。耳を塞がずに最後まで聞いてください。

わたし今、前髪を伸ばしてます。

 

 

 

目標は、Perfumeの のっちみたいな綺麗なワンレングスボブです。いま前髪が鼻の下くらいまで来ていて、完全なワンレンに仕上がるにはあと半年くらいかかるかな〜といったところです。3月に友達の結婚式があるから、それまでにはもうちょっと収まりやすい長さになっていてくれるといいんですが。

 

わたしは昔から、センター分けが似合う人にとても憧れがあります。なんども挑戦しているんですが、やっぱり似合わないとか、おでこを出すことに恥ずかしさを感じて結局すぐに前髪を切ってしまいます。でも今度こそはちゃんと伸ばしてみようと思っています。センター分けはハードルが高いので諦めるとして、横分けでいいからワンレンにしようと思います。

 

悲しいことにわたしがどんなに髪型をPerfumeののっちに寄せても、鏡の中にうつるのは ふかわりょうそれが宿命というやつです。宿命と書いて「さだめ」です。もしくは現実と書いて「リアル」です。・・・いや待てよ。だとするとわたしって、センター分けがけっこう似合うのかもしれない。

 

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ところで先日NHKを観ていたら、クローズアップ現代+で、コンプレックスの話を取り上げていました。

 

 

今の時代、外見上のコンプレックスは武器になるようです。ということでゲストは、まさにそれを売りにして活動している渡辺直美トレンディエンジェルの斎藤さん。平均的かまたはそれ以上でなければならないという固定観念をを捨て、自分の個性を大事にしよう、そしてそれは武器にさえなるという話でした。

 

最近注目されているガールズバンドのCHAIが取り上げられてました。このグループ見たことはあるけれど、曲を聞いたのは初めてでした。「コンプレックスはアートなり」とかいうスローガンを掲げて活動しているらしいんですけど。「NEOかわいい」という言葉を生み出して支持を得ているそうです。「どんなに目が小さくても、鼻が低くても、足が短くても、それでもとにかくわたしはかわいい、あなたもわたしもみんなかわいい!それでいいじゃーん!イェーイ!」みたいな曲です。

 

 

 

いやぁ〜素晴らしい!CHAIすごい!

ファンでもなんでもないですが、そう思いましたね。何が素晴らしいって、「NEOかわいい」という言葉もそうだけど、なによりこの若さで自分のコンプレックスを受け入れて、それを音楽活動のエネルギー源に変え、人の心に訴えるものを創り出し、世界で支持を受けるまでになってることがすごい。先述のスローガンは、有名になる前からずっとテーマにし続けてきたようです。そういう強いポリシーを若い時から持ちつづけていることってかっこいいですよね。ずっと曲げずにそのままでいてほしいなぁと、オバサンは目を細めましたわ。

 

 

 

一つ思ったのは、「NEOかわいい」の意味を履き違える人がいそうだなってことです。ファンでもなんでもないのにまた偉そうなことを言いだしましたけども。ただがむしゃらに「誰が何を言おうととにかくわたしは可愛いんだ!受け入れろ!」という乱暴な使い方をする人が現れやしないか、オバサンは心配です。わたしが思うに「NEOかわいい」の真の意味は、他人との比較とか他人からの評価にとらわれずに、自分で自分を受け入れて好きになろうということ。「お前らの中にあるブスという概念を捨てろ!」じゃなくて、「わたしはブスです、でもそんな自分も嫌いじゃないし、僻んだり羨んだりするより受け入れることの方が幸せだと知っています。自分に自信を持ってます。」という精神がそこには含まれているのではないかと思うのです。自分に自信を持っている人は強いのです。自分を信じている人は、人のことも信じられるからです。

 

「人は外見より中身」という言葉には同調できかねる時は確かにあるけれど、でもこの言葉は間違ってはいないですよね。結局、どれだけ美人でも「自分が一番かわいい」と思っていることがミエミエな人って魅力を感じないですし。逆に見た目は可愛くなくても心がまっすぐだったり、人一番可愛さを追求していたり、キャラが素敵であればみんなから愛されますしね。本当のブスって、自分がブスであることを受け入れずに自分を哀れんでいる人のことだと思うんですよね。

 

まぁ確かに生まれつき美人の人に比べたら、乗り越えなきゃいけないものが多い。だから一見アンフェアに感じるけれど、でもそのぶん人間的には成長できると思う。中身のない美人よりずっとイイです。それに、美人だって美人なりに苦労はあるのだから。女を外見でしか判断できない一部のスッカラカン男たちが寄ってきたりだとか。そうですよ、わたしが言うのだから事実ですよ。え?ふかわりょうは引っ込んでろって?だーれがふかわりょうだ。

 

 

 

権利や個性が主張される時代になりました。こうなってくると性の話は付き物です。わたしはもちろんLGBTの人たちを差別するようなことはしません。では支持するかということについてはここでは敢えて脇に置いときますが、話のついでにわたしは物申したい。自分の個性を主張することだけにとらわれ過ぎるせいで、人の個性を尊重することを忘れるな。例えば、いつも散々「わたしの性的嗜好を受け入れろ」と主張しているその人が、スタイルの悪い人を見て悪意を込めて笑っている姿を見るとびっくりする。え?え?意味不。矛盾がやばい。やばたにえん。オバサンが一瞬で今どきのJKみたいな言葉使い始めちゃうくらいの衝撃。性は個性だと言うのに、体型は個性として認めない人たちがいる。全員がそうとは言わないけれど、一度考え直してほしい。「受け入れてほしい」と言うことには責任が伴うということを。自分も他の人を受け入れる覚悟はできているのか?それを考え直さないと、ただの自己チューになるよと言いたいです。

 

 

 

珍しく真面目な話をしてしまいました。

 

一つ付け加えておきたいのですが、わたしは一切ふかわりょうさんを貶していません。そしてわたしのスッピン顔が彼に似ていることは事実です。ふかわりょうに似ているわたしを、わたしはかわいいと思う。それがNEOかわいい。以上です。(なんのフォローにもなってない)