斜め上からナスコ

言わなくてもいいことを言いたい

強くなると人に寄り添えなくなる

 

 

『強くなければ次のステージに行けないけど、

強くなると人に寄り添えなくなる』

オードリー  若林正恭

 

 

これなんだよ!これ!!!!

Netflixの佐久間さん企画の番組「LIGHT HOUSE」をイッキ見しまして。とんでもない番組だ。星野源×オードリー若林。とんでもない2人組。平たく言うと2人ともマジで暗い人間、いい意味で。その暗さがこの2人をここまで持ち上げたんだと思った。やっぱり登り詰める人生き残る人は、考えて、考えて、考え抜いてる。悩み抜いてまだ悩んでる。何かを悩んでないといられない、だからこそ今ここに立てている、ここに立てていてもまだなんか悩んでる。そういう登り詰め方をしたい。悩みに終わりのない人でいたい。それが成長に欠かせないはずだから。

 

 

前回書いた時からまだずっと考え続けていて。自分にとって最強のコミュニケーターと出会った結果、他者とのコミュケーションに様々なメリットと弊害が出始めてていることについて。自分がコミュ障な癖に、私も人とコミュニケーションが取れる!という実感を一度味わった途端に、急に他のコミュ障にマウント取り出す感じ。ダサい。これどうにかしたいって思ってた時に、若林のこの言葉。まさにそう。

 

 

自分はある意味努力して、人と有意義に会話出来るようになりたいと思って頑張って今ここにたどり着いた、そうしないと次のステージにいけないから。だけど次のステージに行ったら、以前自分が居たステージに今立ってる人たちのことがちっちゃく見えてしまった。もっとちゃんと自分の気持ちを言葉にしろよ、もっと頑張れよって内心思ってしまう。若林が言いたいことと合致してるかどうかわからないけど、私的にはそう解釈して、深く頷いてた。

 

 

もっと言うと、私だって頑張って強くなったというのに、もうもともと生まれつき強かった人みたいに思われるのもすごく嫌だ。最初っからできる人はいいよね、この気持ち分からないでしょ。って思われるのがすごく嫌だ。私もそこに居たんだから、そこからやって来て今ここにいるんだから!!と弁明したい。だからと言って自分が頑張ったことを熱弁したり、お前らも頑張れと説教したりするのも嫌だ。イヤイヤ期だこら。

 

 

そこで何を思われようと何を言われようと冷静になって、相手に心底共感し、思いやり、自分を守ろうとせずにただ相手に辛抱強く優しく接することが出来たら、それが大人なんだろうな。そうしているうちに、あ、この人ももともとはこっち側の人間なのか、っていつかちゃんとわかって貰える日がくるんだろうな。来ると信じたい。