勝手に片想いして、勝手に失恋して、勝手にキレて、勝手に立ち直る。
くすぶっている中学生の時の恋は、この本を読んで完全に葬ることができそうだ。
休み時間も教室の端で机に突っ伏していたような地味キャラ女子にとって片想いは、勝手な思い出になりやすい。一年のうちに数える程しか交わさなかった彼との会話や交流が、実際以上の、誇張された輝きを持って、宝石箱に大切にとっておかれるのです。勝手に見て、勝手に好きになって、勝手に一喜一憂して一年は過ぎるわけです。
わたしも中3の時、クラスに好きな男子がいて、いつも視界の端で彼を見ていました。席替えで近い席になると勝手に運命だと決めつけたりして。誰にも話さずに自分の中だけで楽しむ片想いでした。
シャーペンを貸してと声をかけられて、彼が自分のシャーペンを使っている姿を目に焼き付けたこと。理科の実験の時間に、わたしの筆箱に付いている変なストラップを褒めてくれたこと。廊下に張り出された修学旅行の写真を買うために眺めていて、ふと振り返ったらすぐ後ろに彼がいたこと。彼との思い出は今でも鮮明に思い出されます。そして、もしかしたら彼もわたしにわずかにでも気があったんじゃないかという勝手に抱いた淡い期待をずっと拭いきれないのです。あまりにも叶わなすぎる恋は、募らせるうちに自分の中で理想を形作りすぎて、むしろ叶ったかのような錯覚に陥らせるんでしょうね・・・
高校生になって、彼をたまに街で見かけるとそれだけで、やっぱりわたしたちはどこかでまだ繋がっているんじゃないかとバカことを考えたり。当時、周りがみんなツイッターをやっていて、わたしも始めてみたら、おすすめユーザーに彼のアカウントを見つけたので、思い切って黙ってフォローしてみたんです。そしたらなんと彼からDMが来ました。
「ごめん、名前なんだっけ・・・?」
そう。ヨシカがイチに言われたのと同じ。名前を覚えていなかったんです。(わたしは高校のニックネームでアカウントを作っていたので)。だからヨシカの切なさが手に取るようによく分かりました。ただ、ヨシカはもう12年?くらい過ぎてのことだったけど、わたしは2年かそこらしか経ってなかったんで、泣きましたね。やっぱね、やっぱそんなもんだよね、と。
でもそのあと電話までしたんです。掛けてもいいかって言うから。そしてヨシカと同じ。当時好きだったことまで話しました。確か。「もう過ぎたことだから話せるけど(笑)」って言うスタンスを装って喋ってるんですけど、まぁそんなはずがないんですよね。実際は未練タラタラ。
彼は喜んでいました。「えっそうだったの!嘘でしょー」なんて言って。で、今度一緒に遊ぼうよ〜みたいな話まで漕ぎ着けて。でもそのあとすぐ、彼には付き合ってる彼女がいるって分かって。しかもなんか、メイクばっちりの いかにもギャルみたいな子で。そんな子と付き合うようなタイプじゃなかったのに。むしろちょっとダサさがあるというか、垢抜けない感じがグッときたのに。わたしの中で中学生の時から止まったままの彼とのギャップが痛かった。なんか自分のアホさに涙が出てきましたね。
そして、勝手に失恋して勝手にキレるんです。ヨシカがイチに心の中で勝手に「勝手にふるえてろ」って言い放ったみたいに。そこで連絡は打ち切って、全部終わりにしました。全部もなにも、大した進展はなにもなかったですけどね(笑)
ヨシカの羨ましいところは、そんな自分を好きになってくれる男性がいることですよ!十分じゃん!と思っちゃうんですが、ヨシカは煮え切らないんですね。追いかける恋か、追いかけられる恋か。ヨシカは前者の方が俄然 燃えるわけです。だから追いかけられると戸惑いを隠せない。それだけ芯のある女性ってことで、素敵だなぁと思いますけどね。わたしだったら自分のこと好きになってくれる人のことはやっぱり好きになりやすいから。流されてしまいそうだからね。
自分を好きになってくれた相手に身を委ねることは、彼女にとって一種の賭けであり勇気のいることだけど、挑戦してみようと一歩を踏み出すヨシカなのでした。
綿矢りささんはあまり読んだことがないですが、この作品と同じく若い女の子の目線で語られている「蹴りたい背中」が有名です。多感な思春期の女子の闇と葛藤がすごく繊細に表現されている、でもライトでサラサラ読めてしまう。言葉の使い方が面白いなぁ、笑いながら共感しながら読めました。「前世は おでんの具か?」というのが面白すぎて印象に残りました。
また時々読み返したいです。