斜め上からナスコ

言わなくてもいいことを言いたい

守っても破っても

 

 

 

心配されたり気遣われたりすることに弱い。優しくされるとすぐに冷静さを失ってしまう。特に気分が落ち込んでいる時はそう。そんな自分が幼稚で情けなくなる。

 

昔から見栄っ張りなわたしは、他人に自分の隙を見せたり、何かを間違えたり、人前で泣いたりすることなんて言語道断!という、柔道一家で育ったのかと疑うほどストイックな自分ルールでやってきたけれど、ある時それを破らせようとする状況が突然やってくる。本当に心身ともに疲れている時や、何かのことでものすごく落ち込んでいても、絶対にそういう部分を人には見せたくない。見せたくないのだが、察しのいい人にはバレてしまうことがある。「なんか疲れてる?」とか「最近元気ないよね?」とか、核心を突くそういう一言が命取りなのだ。

 

まずその時点で既に泣きそうになる。気づいてくれている人がいたという安心感と、「人前で泣いてはいけない」という自分ルールを破るまいとする虚栄心とがぶつかり合ってそうさせる。言葉数が極端に少なくなったらそれがサインだ。話そうとするとダムが決壊するので、急に黙りこくる。

 

 

そんなところが子供の頃と全く変わっていない。子供の時もわたしはとにかく自分のことについて人に話すのが苦手だった。特に大人、または大勢の人を相手に話すことができなかった。話を聞くのは好きだが、こちらが話さなければならないというのが苦痛だったのだ。それにあれこれ質問されると、相手は自分のことを問い詰めたり責めたりしているわけでは決してないのに、そうされている気がして泣きそうになり、大抵の場合は話せなくなった。高校生くらいになってからも、そういうことが少なからずあった。

 

しかしここ数年そういう状況に陥ったことがなかったので、わたしも大人になったのだなぁと思っていた。ところが。つい最近そのようなシチュエーションに突然直面することがあり、わたしはあの懐かしい感覚を思い出す。喉の奥がグイグイ締め付けられるような息苦しさを感じ、言葉を失ってしまった。やっぱりちっとも変わってなかったんだなぁ、とちょっと凹んだ。

 

 

もしそこで自分の掟を破って泣き出してしまうようなことがあれば、罪悪感に苛まれることになる。一方、泣き出すことなく涙をこらえ切ったとしても、たぶんほとんど何も発言できなかったことへの後悔に至るのだ。もっとうまく話したかったなぁ、伝えたかったなぁと。結局 自分は「いいかっこしい」なだけで、本当は自分のことを知ってもらいたいという潜在的な欲求があるのだ。誰だってその欲求はある。だから別に知ってもらおうとしてもいいのに、やはり自分の掟を曲げたり、なかったことにしたりするのは非常に難しい。生きるって難しい。自分と付き合っていくのは本当に難しい・・・

 

 

 

という珍しく真面目な話でした。