斜め上からナスコ

言わなくてもいいことを言いたい

才能は開花し散っていく

 

 

引きこもり検定準1級の私からすれば、外出自粛要請なんて朝飯前、というよりついに我らの時代が来たかといったところですよ。

 

 

とはいえ仕事は勤務時間が謎に短くなったのみで、さほど生活が変わらないナスコです。現在飲食業のため、普段から午前中はフリーな生活をしているので、起きる時間も変わらず。のんびりと過ごしております。普段から引きこもりのカリスマであるわたしから言わせてもらいますと、家でできることなんて死ぬほどありますよ。YouTubeでお笑いを観る、映画鑑賞(今や借りに行かなくてもネットで借りれるやん)、見逃したテレビ番組のチェック(今の時代録画なんてしなくてもネットで観れるし)、音楽を聴く(これを機にプレーヤーの中を整理してみるのも良し)または歌う(無料のカラオケアプリで採点もしてくれる)、あとは読書。普段読書しない人でも、続きが気になって仕方なくなるようなミステリー小説とか、どんでん返し系とか挑戦してみたら絶対ハマる。他にもっとアクティブなことがしたければ、作ったことない料理とか時間かかる料理に挑戦する、布団系のでかいものの洗濯、風呂キッチンもしくは洗濯槽など普段できない水回り掃除。てなところですね。正直ここまで全くありきたりなことしか言ってないですけど、そういう平凡なことこそやり始めたら全然時間足りませんから。まぁアウトドア派の人にこんなこといってもあんまり興味ないかもしれないですけど。

 

 

さて、お題は「オンライン」。こういう状況になってオンラインを活用することが増えた人多いのではないでしょうか。わたしは、普段は使わないLINEのビデオ通話を使うことが増えました。普段だったらチャットやただの電話で済ませるところを、なんか全然会えないし顔見て話したいよねぇみたいな感じで友達とビデオ通話したり。何人かでグループ通話してみたり。本当に便利な時代です。ネットがこれほど普及してなかったらどうなっていたんだろう。考えられないです。

 

 

とはいえ、とはいえですよ。本音を言いますと、現状で個人的に気づいてしまったことが一つありまして・・・。わたしって、基本的に人との交流を必要としてないのかもしれない・・・ということ。ちょっと暗い話になりそうですねw 周りの人たちや友達の多くは「みんなに会えなくて寂しい」「家に一人でいてもつまらない」「ストレスで病気になりそう」などと言ってる人が多いんです。やたらと頻繁にLINE送ってくる人とか、電話しようとか言ってくる人とか。え、本音ですか?本当にそう思ってるの?わたしなんて「みんなに会えなくても別に大丈夫」「家に一人でいられるって最高」「健康になりそう」なんですけど大丈夫ですか?まぁたしかにこれをあんまりデカい声で言いまくってたら、すごい寂しい人かと思われそうだから人前では黙ってることが多いんですけどねw それにしても「誰かに会いたい」とか「人と話したい」という感情が1ミリも湧いてこなくて、まじでワイこの先大丈夫か?っていう若干謎の焦りに襲われたりしてる今日この頃です。オンライン通話、便利っちゃ便利だけど、今思い出すと自分から掛けたことないな。なんでこんなに人を必要としてないのか・・・人に興味がないのか・・・自分大好き人間なのかな・・・結婚とか一生できなさそう・・・。ということをぐるぐる考えてみたりします。ま、次の瞬間にはYouTube見始めますけどね。

 

 

っていうか今一番心配なのか、こんなに人と関わらなくていい生活(もう「関わらなくていい」って言っちゃってるぅ↑)が続いたら、果たして普通の日常生活に戻った時に生きていけるかということなのです。たぶんワイには生まれつき遺伝子レベルで「引きこもりの才能」が植え付けられていて、この24年間その遺伝子というか宿命に自ら気づくこともできぬまま、ずっと逆らい続けて生きてきたんです。だからこんなにも生きにくい24年間だった。しかし、このコロナウイルスの蔓延による生活の変化をきっかけにワイは自分の真の才能に気づいてしまった。生まれた瞬間からワイの中に眠り続けていた潜在能力が図らずも今、開花してしまった。この生活をなんの苦もなく健康的に生き抜いていける、才能。友達と会えなくても親と連絡しなくても何も心配にならないし、1日のうちに彼らのことを思い出す瞬間がほとんどないという、才能(端的に言って最低)

 

だからこの生活が終わったら、もう元の生活に戻るのがハードルが高すぎる。正直今までどうしてあんなに人と関わって生きてこれたのか不思議でならない。あの生活に戻ったら、他人との交流による刺激が強すぎて死ぬのではないかと思ってます。というかその前に外の世界が眩しすぎて、光を浴びた瞬間スパークして死ぬのではないかと思っています。他人と喋らなすぎていつのまにか自分の中で「ワイ」になってしまった一人称を、そのまま人前でも普通に使ってしまい、その恥ずかしさで穴に隠れてそのまま生き埋めになって死んだりするのではないか・・・元の生活に戻った時にこそ死の危険がたくさん潜んでいる。それが怖くてならないのです・・・。才子短命。才能のある人ほど命が短い。こういうことなんでしょうか・・・(全然違う)まるで桜の花のように短い命。わたしは果たして3ヶ月後、いや1ヶ月後、無事にこの世にいるのでしょうか。

 

つまりオンラインという先進技術によるビデオ通話は、わたしにとって家庭用健康器具も同然なのです。あれば使うかも、いやあっても使わない、なくても余裕で生きていける。困った困った・・・。

 

 

 

注記:仕事はちゃんとやってます。

 

 

 

今週のお題「オンライン」