斜め上からナスコ

言わなくてもいいことを言いたい

会話ができそうでできない母、できるかもしれない父

 

私の母は会話ができない。


母はまずヒトに興味がない。人と喋るのは好きだし、なんならずっと喋り続けているような人だ。1人でいようと、周りに誰かがいようと基本的に喋っている。明るくていつも笑っていて、真面目で世話焼きで行動力のある人だと、周囲の人は母のことをそう評価する。だからこそ分かりにくいのだけれど、実のところ、全くもってヒトに興味がない。母の話は一方通行だ。もしくはボールの壁あて。要するにただ自分が話したいことだけを話している。母が言ったことに私が言葉を返すと、今度はその言葉に反応して思い出した別のエピソードを語り出したりする。そしてこちらに質問を振ってくることがない。時々思い出したかのように「で、あなたはどうなの?」と聞いてくることがあるが、もしそれに答えたとしてもそこから掘る気はさらさらなく、むしろそれに付随する母のエピソードで積み上げていくだけだ。要するに形式的な、機械的な質問をしているに過ぎない。そんなことをされ続けた私はもう自ら話す気など失ってしまい、ただ母の話に相槌を打つしかすることがなくなった。厄介なのは、母はその状態を“会話”と捉えていることだ。


同じ境遇で育った兄はというと、母と同じ“会話”のスタイルを持つタイプの人間になった。母と兄の“会話”をよく聞いているとそれはキャッチボールではない。相手から受けとった青いボールを一旦地上に置いて、別の赤いボールを相手に投げ返すようなやりとりを延々と続けている。その楽しさが私には全く理解できなかった。私はますます口数が減っていった。そしてそんな私を見た母は、私のことを「あまり主張がない穏やかな子」とした。


自分と母のコミュニケーションスタイルが合わないことにはっきり気づけたのは、高校生の時だ。高校時代、母に黙って学校をしょっちゅうサボっていたのだが、そのうち1度だけ、学校から母に連絡が行ってバレたことがある。忘れもしない、平日の昼間から制服のまま一人で映画を見に行った帰り道だった。映画館を出て、当時持っていたレモン色の折りたたみ式のガラケーの電源を入れたら、母からの鬼電通知が目に飛び込んできた。あの時の、血の気が引く感覚を忘れられない。母は真面目で、こういうことにかけては本当に厳しい人だ。この鬼電は心配の電話ではなく、100%お怒りの電話だということはすぐに分かった。ましてこれまで何の問題も起こしてこなかった「主張がない穏やかな子」がやらかしたのだから尚のこと、母にとっては大事件だったに違いない。帰宅すると、案の定 母はとんでもなく眉を吊り上げて待っていた。まるで重大な悪事に手を染めてしまった者かのような物言いをされ、最終的には絶望的な顔で「あなたが何を考えているか全く分からない」と泣かれた。その時 私は心の中で全く冷静に「そりゃそうだ、だって私の話をじっくり聞いたことがないから」と思った。そしてもう次の日にはその事件は全く無かったかのように母は平然としていた。


この事件をきっかけに、私は母とまともな会話をすることを完全に諦めた。無駄にフラストレーションを溜めるのはやめようと思った。もちろん当時は多感な年頃で、この理屈を頭では分かっても心では受け止めきれなかった。私を理解しようとしない母を恨んだこともあったけど、大人になった今はもうなんとも思っていない。よくよく観察すると、母方の祖母の会話の仕方もまた母とよく似ていることに気づいた。そうか、お母さん自身がこういう母親に育てられているから無理もないんだ、と冷静に分析している。

 

 


一方、父はどちらかと言うと寡黙なタイプだ。人見知りであまり人と話すのは得意ではなく、趣味は読書で、文字通り一日中本を読んでいることができる人だ。お酒が入ると陽気な饒舌になり、しょうもないギャグやら不謹慎な発言やらを連発するが、気がついたら寝ている。


父は典型的な仕事人間で、私が高校に上がるくらいの頃まで、月曜日から土曜日まで出勤しているような人だったから、正直父と日常的な時間を過ごすことなどほとんどなかったように思う。毎晩飲んで帰ってきてはすぐに寝てしまい、朝早く出勤していく。週末は朝ゆっくり起きて夕方から飲み始め、晩にはすっかり出来上がっていたから、今になって考えてみると、当時は1週間のうちシラフ状態の父親をほとんど見ていないかもしれない。長く時間を過ごしたのは唯一、年に一度 家族で旅行に行く時くらいだっただろうか。だから学校のことや友達のこと、増して進路や将来のことを父と話したことは全くと言っていいほどない。未だに自分のパーソナルなことを父に話す気にはなれず、一人暮らしがどうとか仕事がどうとかいうことも、あまり報告できない。ただ、ひとつだけ言えるのは、不思議なことに父と私は目の付け所や笑いのツボが確実に合っているということだ。興味を持つ分野もどこか系統が似ていると思う。父も私も根底は常に不真面目で、どこか斜に構えていて、いつも穿った視点で物を見ては一人で面白がっている。


大人になってから仲良くなった友達に、何気なく昔の父のエピソードや発言について話すと、決まって彼女は「ナスコは確実にお父さんのDNAを受け継いでいる」と妙に納得されて、そういうことが何度かあってようやく、確かに私って父の影響をかなり受けているかもと気付かされた。そしてそのことが少し嬉しかった。母と理解し合えないぶん、父とは通ずるものがあるというのは救いだ。父ともまともな“会話”ができたことはないが、しようと思えばかなりできるかもしれないという兆しを感じた。


最近父は仕事をリタイアし、家にいるようになった。先日帰省した時、父の一日をひそかに観察した。いつも通りの読書や、散歩や昼寝で1日を潰し、まだそこまでの歳じゃないのにまるで老後のおじいちゃんのような暮らしをしていた。ストレスがなくなったらお酒を必要としなくなったらしく、毎日必ずあんなに飲んでいたお酒をピタリとやめた。寝るまでずっとシラフ状態の父なんて、それはそれは珍しくて、というか初めて見るくらいのもんで、なにやら落ち着かない帰省になった。


来月友達と行く旅行の話を何気なく母に伝えていたら、父がふらっと話に入ってきて「なに、どこに行くの」と聞いてきた。いつもだったら酔っ払って好きなことを言って寝ていただけの父だったので、そんなふうに私や母の話に入ってくることもまた珍しく、なんだかこっちがソワソワしてしまう。行く場所や期間を伝えると、父はその場所のことをいろいろ教えてくれた。父は学生の時から、私と違ってとても優秀で、勉強家で、知識が豊富だ。特に地理や歴史のことはなんでも知っている。「いいなぁ、お父さんもそこ一度は行ってみたいんだよなぁ」とか「そこに行くなら、あれを見てきたらいいよ」とか「あれが美味しいらしいよ」とか話してくれた。こっちがいろいろ聞いたら、答えてくれた。こんなのたぶん当たり前すぎる普通の家族の会話なんだろうけど、私にとってはなんだか初めて見る私に対しての父の姿のような気がした。そうか、お父さんって無口でお酒ばっかり飲んで、全然ヒトに興味なんかないって思っていたけどそんなことなかった、ちゃんと話ができる人だったんだ、と思った。そりゃそうだ、だって父はちゃんと出世していっぱい稼いで家族を支えてくれた。こんなに出世できる人なんだからきっと職場でもいつもここぞという時に、隠し持ったコミュ力の高さを発揮していたに違いない。一度も見たことがない職場での父の姿を想像してみたら、突然父のことが頼もしく、誇らしく思えた。


とはいえ私はまだそんな父をすっかり素直に受け止めることができず、照れくささも相まって、自分の方から自分をオープンにしていこうという気にはどうもなれない。父ともう少し仲良くなれたら、パーソナルなことも小出しにしていきたいけど、どうやらそうなるまでには私の人間性にもう少し成長が必要そうだ。できれば同性の親と“会話”がしたかったけど、それはもう考えないことにする。男性である父親だからこそ持っている視点を教えて貰えるのも、また自分にとってプラスになるだろう。

 

 


家族って、変なの。ずっと同じものを見て同じ時を共有してきたのに、こんなにも違うなんて。こんなにも違うのに、家族だからという理由でずっと一緒にいる。なんか、家族って変なの、って思った。